やきもののまち・多治見
学ぶのにも暮らすのにも自分にマッチ
意匠研での3年を経て作家の道へ
陶芸の道を再び 多治見市陶磁器意匠研究所へ
琵琶湖のほとり、滋賀県草津市出身の藤内紗恵子さん。「子どもの頃、磁器は白く宝石のように輝いて見えた」と話し、大学ではセラミックデザインコースで磁器を学びました。卒業後は滋賀県へ帰郷。ウェブに携わる企業で働いていたものの、陶芸への思いが捨てられず、やきものの道を再び志します。
やきもののまちは日本各地にありますが、陶磁器の作家育成において、「多治見市陶磁器意匠研究所(以下、意匠研)」は実績、レベルの高さともトップクラス。「もう一度、陶磁器に向き合い、学びたい」との熱意を胸に、狭き門である入学を見事に成し遂げました。
意匠研は、美濃焼上絵付研究所としてスタート。1959年に多治見市に移管され、多治見市陶磁器意匠研究所として発足したのちは、延べ800人を超える若い人材が巣立ち、陶芸家やデザイナーとして活躍しています。また、1986年に第1回国際陶磁器展美濃を開催して以来、世界各国から数多くの作品が集まる中、意匠研を卒業した陶芸家が国際陶磁器展美濃でグランプリを含む各賞を受賞するなど、目覚ましい活躍をしています。
卒業生の多くが、陶磁器メーカーや商社に就職。また作家として独立し、さらに講師や先生などになり、陶磁器産業を支える存在に成長。「意匠研Ishoken」の名は全国はもとより、世界にも知れ渡り、多治見市を代表する機関のひとつとなりました。
藤内さんはデザインコース・技術コースで2年、さらに上級のセラミックスラボを1年、計3年の研修を受けた後、現在は嘱託職員として意匠研の試験部門で勤務中。そのかたわらで作家としても創作活動をしており、個展を開くなどしています。
岐阜の多様性に将来のさらなる発展を期待
陶芸は岐阜県を代表する伝統産業。古くから根付き、まちの発展を支えてきました。藤内さんが多治見市を移住先に選んだ理由のひとつは、陶芸を学ぶための意匠研への入所でした。さらに、その立地も決め手となったようです。
「多治見は、住んでみると交通の便が良く都市部にも近いことが分かります。伝統産業が残っている一方で閉鎖的でもないという、実にバランスが良い住環境に大満足しています」と笑顔を見せます。伝統的工芸品の産地にとって交通アクセスの良さは、物流の面で生きていると実感しています。
豊かな自然があふれる岐阜県ですが、名古屋市などにも近く、市街地との交流をもちながら生活するにも適しています。こういった岐阜県が持つ多様性は、陶芸家として活動する藤内さんにアイデアを与えるなど影響しています。
産業と文化、自然と利便性といった多くの魅力がある岐阜県で、自身の陶芸家としての将来はもちろん、地域の発展にも大いに期待を寄せています。
藤内さんに聞きました!
転職に関して大変だったことは?
特に大変ということはありませんでした。生まれ育った草津市と多治見市は人口が同じくらいなので、違和感なく移ってくることができました。
就業までの流れは?
多治見市陶磁器意匠研究所がある多治見市に、まずは移住をしました。その後、研究所で学び、やきものの仕事に就きました。
多治見でやきものの仕事をする利点は?
多治見市には陶芸家向けの工房の補助などがあり、利用している作家も多いです。
伝統工芸に興味のある方へのアドバイス
陶芸の多治見市や木工の高山市など、伝統工芸に興味がある人にとって、岐阜県はいいところです。もちろん、やきものがしたいなら多治見市ですね。