【公式】岐阜県への移住・定住ポータルサイト 田中佳奈さん |移住者インタビュー|ふふふぎふ|岐阜県 岐阜県

interview

「ここで暮らしたい!」と即決した移住先は
定住したいと思えるほど愛する場所に。

田中佳奈さん

- フォトグラファー

プロフィール

徳島県出身。2015年4月に郡上八幡を旅行していたときに宿泊先の人がふと言った「あなたには石徹白があうと思う」という言葉に触発され、翌日には岐阜県郡上市石徹白へ訪問。その場で移住を即決し、1ヶ月後には地域おこし支援隊として戻ったというエピソードを持つ。現在は、百穀レンズという事業を立ち上げフォトグラファーとして活躍している。

古くから山岳信仰の対象として崇められてきた霊峰白山の麓に位置する郡上市のなかでも最奥地、白山登山道の入り口にある石徹白地区。徳島県出身ながらご両親の仕事の関係で転居を重ね、移住前は京都府に住んでいた田中佳奈さんは、旅先で訪れた石徹白で生まれて初めて「ここに住みたい!」という思いが自然に湧いてきたそうです。現在は母として妻として、フォトグラファーとなった田中さんにお話をうかがいました。

移住前はどこでどのようなことをしていましたか?

徳島県出身ですが親の仕事の関係で転居を重ね、移住前は京都府に住んでいました。

移住のきっかけは何ですか?

2015年4月に郡上八幡を旅行していたときに宿泊先の人が放った「あなたには石徹白があうと思う」の一言です。

移住の決め手は何ですか?

父が転勤族だったので国内外を問わず転々と移り住んできて……。大学で建築を専攻した関係でアジア・アフリカのさまざまな地域も訪ねました。漠然と今後もそうやって生きていくのだろうと思っていましたが、郡上八幡の旅行中に石徹白に訪れたときに、初めて「ここで暮らしたい!」と思ったことです。

どのようなプロセスで移住しましたか?

宿泊先の方から言葉をかけられた翌日には、石徹白に向かいました。いろいろな所を見て回り、話を聞いているうちに地域おこし支援隊を募集していたことを知って移住を即決しました。岐阜県に初めて訪れてから約1ヶ月後に着任する「電撃移住」でした。

移住してまずはじめにしたことは何ですか?

アウトドア・体験型ツーリズムを推進する地域おこし支援隊(郡上市の地域おこし協力隊)として活動しました。

現在はどんな仕事をされていますか?

2017年に地域おこし支援隊としての任期を終えました。今は百穀レンズという撮影サービスを立ち上げフォトグラファーとして活動しています。石徹白にきてからツーリズム支援隊として、ツアーの写真を撮ったり、暮らしや風景の写真を撮っていて、写真の魅力に引き込まれたのがきっかけです。

仕事はどのように見つけましたか?

移住前に地域の方から地域おこし支援隊が募集されていることを教えてもらいました。

どんなときに岐阜に移住してよかったと思いますか?

石徹白の魅力を語り始めるとキリがないです。身近に伝統文化を感じつつ、日本に住んでいる素晴らしさを体感できる場所ですね。冬は厳しい石徹白ですが、毎日美しいと思える光景に出会えてとても心地良いです。

地域とのつながりはありますか?

9年間で移住者が32人と、その子どもが7人産まれました。移住者同士のつながりはもちろん、地域の方とも田畑で米や野菜を育てたり、発酵食をつくったり、衣を縫ったりしながら、暮らしを学ばせてもらっています。

岐阜に移住して驚いたことはありますか?

基本的に何もかも違います。一晩で1m積もることもめずらしいことではありません。

住んでいる地域の魅力を教えてください。

雨が降っても、野菜が育ってありがたい。涼しくなってありがたい。雪解けが進むのでありがたい。雪が積もれば夏の水はこれで安心でありがたい。いろいろ起こる自然現象のなかで、どんなタイミングでも「ありがたい」と受け入れているのが素敵だと思います。

お気に入りの場所があれば、好きな理由とともに教えてください。

石徹白そのものです。これからもずっとここにいたいです。

岐阜で好きな季節はいつですか?

冬です。雪景色が本当にきれいで……。10年近く経った今も、毎日「すごいな。きれいだな。」と感じます。雪に慣れた人たちの集まりだから、雪が多くても安心して暮らせますよ。除雪もしっかりやってくださるので、除雪隊員には尊敬しかありません。

子育ての環境はいかがですか?

特に不便は感じたことはありません。小学生の全校生徒が2桁もいませんが(以前は全校生徒2人)、移住者のおかげで子どもの数は確実に増えています。

これからの夢を教えてください。

石徹白の自然資源と、人の暮らしを紡ぎあわせ、今後は都会の方と地域の方が出会える機会をより多く作り、これからの生き方を考えられる時間を作っていきたいです。