愛と誇りを持ち長良川流域に暮らす人を増やすために
2018年5月23日に、清流の国ぎふ暮らしセミナー「岐阜和傘ナイト」が、京都町家スタジオで開催されました。今回のゲストは、長良川デパート湊町店店長の河口郁美さん、ミナト製傘合同会社の多和寛さん、ファシリテーターには長良川流域の持続可能な地域づくりを支援するNPO法人ORGAN の蒲勇介さんです。
岐阜県出身の方、伝統工芸に関心のある方などが参加され、なんと遠方の東京からも参加いただき、多くの交流が生まれました。
<イベントの流れ>
第1部:岐阜県についての紹介
第2部:NPO法人ORGANについて
第3部:トークセッション
<ゲスト>
ゲスト:ミナト製傘合同会社 多和寛さん
和傘の部品(ろくろ、骨)職人。2015年より、和傘の「ろくろ」を作る全国で唯一の木工所に入り、師匠の長屋一男さんのもとで技術を受け継いでいる。日本の和傘の未来を背負う貴重な人材である。
ゲスト:長良川デパート湊町 店長 河口郁美さん
アンティークキモノのレンタル事業「ORGANキモノ」の着付けや岐阜市の芸舞妓の着付けも行う。和傘の魅力と危機的状況をお伝えする使命を感じて、自ら岐阜和傘作り講座に参加し2本製作する熱の入れよう。工芸品や職人に無性に魅かれるため、職人と直接交流できることがたまらなく嬉しい。
http://nagaragawadepart.net/
ファシリテーター:NPO法人ORGAN 蒲勇介さん
郡上市に生まれ、岐阜市に育つ。フリーペーパー「ORGAN」の取材中に出会った岐阜の工芸品「水うちわ」の再生をきっかけに、長良川流域のつながりの中にこのエリアのアイデンティティを見出し、流域をつなぐ観光まちづくりに取り組む。
http://organ.jp/
問題意識から生まれたフリーペーパー「ORGAN」
前半は、蒲さんより長良川流域やNPO法人ORGANについてのお話がありました。
蒲さんは岐阜に帰ってきた時、ある事に問題意識を持ち、活動を始めたそうです。それは、どんなことだったのでしょうか。
蒲さん:「岐阜に帰ってきた15年前は『岐阜には何もない』と言う若者ばかりでした。自己肯定感やアイデンティティの希薄さに問題意識を持ちましたし、岐阜の素晴らしいモノやコト、ストーリーを忘れ去っていると感じました。
そして、何かしなければという強い使命感にかられ、岐阜の魅力発掘フリーペーパー「ORGAN」を創刊しました。
発行していく中で見つけた素晴らしい物に「水うちわ」があります。
うちわ屋さんを取材していると、偶然奥から半透明のうちわが出てきて。調べてみると、雁皮紙(がんぴし/上質な和紙)にニスを塗ると半透明になることを利用し作られた水うちわだと分かりました。「なぜこんなに素晴らしいものを放置しておくんだ」と衝撃をうけ、なんとか復活させました。
調べてみると、長良川が重要な存在であることが分かりました。上流には美濃和紙があり、その和紙が長良川から運ばれ団扇や和傘となり、水運の町として岐阜の湊町が発展していきました。
流域の繋がりによって美しいプロダクトが生まれてきましたし、「長良川によって育まれた文化」という切り口で岐阜を見てみると、ほんとに素晴らしい繋がりが見えてきます。」
岐阜の魅力を発掘し、体験する数々のイベント
蒲さん:「最初の頃は、デザイン事務をしながら岐阜の魅力を発掘する体験プログラムを行っていました。2010年からは岐阜のまちとつながる体験型プログラム「古今金華町人ゼミ」を開始。町屋や老舗の和菓子屋さんをめぐってもらったり、鵜飼を見てもらうなどの内容です。
体験プログラムを開催しはじめると、岐阜の魅力に気づいた若者が増え、共に活動をするようになり、2011年に法人化を決意しNPO法人ORGANとして再出発をしました。愛と誇りを持って長良川流域に暮らす人を増やしていきたいな、という思いで活動しています。
「その頃から、農村部から都市部まで川文化の中で生きている、ということを確信的に思っていて、流域全体で地域づくりをやっていこうと考え、2011年からは長良川流域の体験プログラムがまちのあちこちで開催されるイベント「長良川おんぱく」を始めました。」
新たなステージへ
フリーペーパーから水うちわを発見、多くの体験プログラムを開催し、岐阜の魅力を発信し続けてこられた蒲さん。さらなる展開を考えているそうです。
蒲さん:「次第にただ体験プログラムをやるだけではなく、岐阜の人たちが作った物を販売できるお店を作ろう、と思うようになりました。そして、2015年にオープンしたのが「長良川デパート湊町店」です。和傘も販売しており、開いた瞬間現れる絵柄に感動し一目ぼれで買って下さる方が多いです。
ちなみに、岐阜で作る和傘の小売店はここだけですし、日本の和傘の約8割を岐阜で作っています。長良川デパート港町店がオープンした時期から、単なる体験イベントから脱却し観光の新しいお客さんづくりを地域でやっていく、というステージにシフトしてきたと思っています。」
「また、現在長良川デパート近くの町屋をお借りし「手仕事町屋CASA」という新しい拠点を作っています。広い町屋の入口を和傘屋にし、隣には妹が起業した活版印刷工房。台所だった場所は、和傘の骨をつくる工場に改装中です。
また、岐阜で生まれたイサムノグチのAKARIシリーズの展示、若手女性和傘職人と和傘を作れる体験工房、体験ワークショップスペースがあります。このような形で手仕事と人が集う団らんのある家、というような場所にしていきたいです。」
和傘を未来につなげていくためにできること
後半は、多和さん、川口さん、蒲さんの3名による「和傘」トークセッションが行われました。
蒲さん:そもそも河口さんはなぜ移住を決意されたのですか?
河口さん:私は生まれも育ちも名古屋なのですが、主人が岐阜出身で。最初は名古屋で暮らしていたんですけど、いずれ岐阜に帰りたいとのことで、何度か岐阜に遊びに来ていました。
そんな中偶然にも町屋を見つけてしまい、そこが賃貸だったので見つけた以上引っ越さざるおえないということで、計画もなく移住してきました。そして、たまたま移住した町内がORGANと一緒の町内だったんです。
そして、一度ORGANがやっていた町歩きのイベントに参加し、いろいろ話をしてみたんですね。そしたら、「この後ORGANの打ち上げがあるから来ない?」と誘われて。行ってみたら、「人を探しているんだよね」と言われて。その流れでORGANに関わるようになりました。
蒲さん:なるほど。飛び込むような形で岐阜に移住してきた河口さんには、伝統工芸プロデューサー的な仕事をしてもらっています。もともと工芸などに興味があったのでしょうか。
河口さん:そうですね。大学の時に染色を学び、糸染めから着物にする所までをやっていました。なので、作る立場の人たちの大変さや楽しさ、想いなどもすごく分かります。今は作る立場ではないですが、材料が天然素材で人の手で作られた物に惹かれるんだと思います。
蒲さん:長良川デパートで販売している和傘も天然素材で作られていると言えます。そんな和傘について少し教えてください。
河口さん:和傘には、番傘、蛇の目傘、雨傘と主に3種類あります。一番多く作られているのが雨傘です。油を塗ることで、破れない強さにし、防水の役割をしています。
蒲さん:日本の和傘の8割以上が岐阜で作られていますが、後継者不足、材料不足、などの問題を抱えています。
そんな和傘が抱える問題に立ち向かおうと、和傘の骨をつなぐ部品「ろくろ」をつくるろくろ職人として起業された多和さん。なぜろくろ職人になろうと思われたのですか?
多和さん:前は業務用の精密機器を作っている会社で設計の仕事をしていました。でも、違うものづくりをしたくなった時期がありまして。その時に岐阜県美濃市で、電気を使わず生木から椅子を作るワークショップがあり、それに参加したことがあります 。
そのワークショップの最中に、エゴの木を使うろくろの話を聞き、エゴの木を育てる人やろくろを作る職人さんがほとんどいない、ということを知りました。ちょうどその頃和傘に関心があったということも相まって、「このままだと作り手がいなくなる。なくしちゃまずい。」と思い、和傘のろくろ職人になることに決めました。
蒲さん:勢いですね。最初の3年くらいは修行をされていましたよね。今後はどんな風に考えていますか?
多和さん:そうですね。今後の展開としては、もちろんろくろを作ることをやっていきたいです。ろくろだけでは、なかなか難しい部分もあるので、部品を糸でつないで組み立てるという所までを行っていこうと思っています。
また、和傘の骨を作っている人も高齢なので今後作れなくなってしまうかもしれません。なので、ろくろと和傘の骨の2つの部品を作ることで和傘作りを繋げていきたいな、と考えています。
蒲さん:「多和さんがやろうとしていることは、日本中の和傘職人の肝になる部分ですし、岐阜の和傘を守っていくことが僕たちの使命だと思っています。
僕としては岐阜の希薄さに問題意識を持ち、ストーリーで生まれてきたプロダクトにフォーカスしていきました。一周して和傘を残していくことは日本文化そのものを守っていくことなんだなと強く感じています。」
トーク終了後も、会場では参加者・ゲスト同士の交流が活発に行われ、多くの交流が生まれるイベントになりました。
「清流の国ぎふ暮らしセミナー」は、今後も東京・名古屋・大阪などで開催されていきますので、ぜひご参加ください!
レポート担当:西野愛菜(大学4回生)